1990年卒 医学部医学科 
宮崎 泰成先生

(東京医科歯科大学統合呼吸器病学 教授、現顧問)

軟式庭球部からソフトテニス部への軌跡

水野哲也先生、長い間お疲れ様でした。

筑波大学の大学院を卒業されて、直後に赴任されたと聞いていますので、40年以上東京医科歯科大学教養部保健体育学の教鞭をとり、多くの学生を指導し、軟式テニス部・ソフトテニス部のコーチとして多くの部員を指導いただきました。私もその中の一人であり、水野先生には数えきれないご指導と思い出をいただきました。感謝申し上げます。

令和2年3月に先生の退職記念祝賀会開催を予定していました。コロナ感染症の蔓延に伴い、現役部員・OBOGみんなで集まる会は見送られ代わりに、ソフトテニス部現役部員・OBOGで知恵を集めて、このようなHPで先生への感謝を形にしようと決めました。

先生に初めてお会いしたのは体育の授業でした。大学に入学してすぐですので、30年以上前になります。布施先生と水野先生が体育を担当されていました。私は中学高校と軟式テニス部に入っていましたが、それほど体力があるわけではなく、体育の授業で筋力トレーニングなどを教えていただき、大学に入ってかなり体力がつきました。
軟式テニス部に入部し、コーチとして水野先生に指導していただきました。和洋女子大学、筑波大学の選手や当時水野先生がペアを組んでいらした木口選手を教養のコートに連れて来ていただき一緒に練習をしたのは大変刺激になりました。
私が医学部4年生のとき軟式テニス部の部長を任された時は、軽井沢で行われた東医体にもご同行いただきました。また、確かその年だと思いますが、水野先生と紅美さんとの結婚式にも読んでいただきました。

私は卒業後、数年間、平成6,7年ぐらいまでは年末の中野杯に参加し、水野先生にごあいさつする機会もありました、その後は関連病院での勤務や米国留学などがあり、しばらく軟式テニス部とは疎遠になっていました。留学から大学に戻って来た後、保健管理センターの関連で学生保健の仕事を一緒にさせていただくようになりました。また、久保田先生からソフトテニス部の顧問を引き継ぎ、思いがけず学生のころよりもより多くの時間を水野先生に再びにご指導いただくことになりました。
令和2年の初めは1月3日に水野先生と部員とともに初打ちをし、水野先生と学生ともに語り合いました。ソフトテニスだけでなく人生に対する哲学についても教わりました。

学生の頃、また社会人になっても水野先生の信念に基づいた生き方に触れることができたことは私にとって大きな財産です。水野先生に教わったすべての学生に共通することだと思います。本当に長い間お疲れ様でした。ありがとうございました。

宮崎 泰成先生

上に戻る